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永遠の不良と呼ばれたショーケン事、萩原健一、逝く

ショーケンの愛称で親しまれた俳優で歌手の萩原健一さんが3月26日、 10万人に1人ともいわれるGIST(消化管間質腫瘍)のため亡くなった。享年68歳。 28日夜、萩原さんの所属事務所を通じて妻の理加さんがコメントを発表した。 これまで、本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。 最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠るように息をひきとりました。 今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます。 理加さんのブログには亡くなる2日前、萩原さんと夫婦でジムに通いトレーニングする様子がつづられていたが、 翌日容体が急変。帰らぬ人となった。 ザ・テンプターズのボーカルとして17歳でデビュー 萩原さんは1967年、17歳の時にザ・テンプターズのボーカルとしてデビューし、ヒット曲を連発。 1970年代には俳優としても活躍し、人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」ではノーネクタイにラッパズボンという新しいタイプの刑事を演じ話題に。 さらに「傷だらけの天使」では探偵の仕事をする青年を熱演。水谷豊さんとの名コンビも話題となった。 波乱の人生…“4度の逮捕”と“3度の結婚” 歌手そして俳優としても成功をおさめた萩原さんだったが、1983年大麻不法所持で逮捕。 1984年には飲酒運転で逮捕。その翌年には週刊誌の記者などへの暴行で書類送検された。 当時会見を開いた萩原さんの口からは驚きの弁明も… ――どっちの目をくり抜いてやろうかとか言ったとか? 萩原健一:(1984年) いいセリフだよ。そういう状態の言葉っていうのは僕も興奮しているし…ただそれは言ってないと思う。 ただ“ぶっ殺してやりたい”気持ちはあった。本当に その後は再び俳優として確固たる地位を築き始めた萩原さんだったが、2004年車を運転中にバイクと衝突事故を起こし逮捕。 萩原健一:(2004年) 私がぼーっとしていたんです。僕は何日か仮眠程度しかしてなかったもんですから、 そういう事も本当に交通の要するに自動車のやっぱりマナーに欠けていたんじゃないかと反省しております さらに2005年には主演映画の出演料を巡るトラブルで映画プロデューサーを脅迫… 逮捕直前に自宅で取材に応じた萩原さんは… ――最後に言いたいことは? 萩原健一:(2005年) 逮捕されるのを待っていますよ。問答無用って感じがしますね。もう少し話を聞いてくれてもいいんじゃないかという気がしますけどね 恐喝未遂容疑で4度目の逮捕で、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。 2011年に再婚…そして病魔に襲われ 2009年フジテレビのドキュメンタリー番組「ノンフィクション」に出演した際、萩原さんはこんなことを口にしていた。 萩原健一:(2009年) 健康体がいい時っていうのはプラス思考に変えられるわけ。だから僕が一番今怖いのは健康… “永遠の不良”と呼ばれ“4度の逮捕”と“3度の結婚”と波乱に満ちた人生だった。 2011年モデルをしていた理加さんと結婚したことを突然発表した際には… 萩原健一:(2011年) 「俺について来い」って言ったんです ――へぇ~どういうシチュエーションだったんですか? 萩原健一: いいじゃないですか…年を数えると老ける。でも彼女に会ってから“まだ60歳だ!”まだと思えた 萩原健一: ジェットコースターのような人生だったんですけど メリーゴーランドみたいにしたいなと思って。この辺でいいでしょうか?家内安全でさ… 幸せそうな笑顔を見せていた萩原さんだったが、奇しくもこの年、病魔との闘いが始まっていたのだが、 萩原さんは公表せずに俳優として、歌手として精力的に活躍を続けた。 2018年には芸能生活50周年を記念したライブを行い、新曲も発表。 萩原健一:(2018年) 去年50周年ライブをやるつもりはなかったんですが、わき出たように応援してくれまして。 手ぶらではなんなんで、“新曲を書こうかな”という心境になりました 「ショーケン」の愛称の由来は? 「ショーケン」の愛称で親しまれた萩原健一さん。どうして萩原健一さんが「ショーケン」と呼ばれるようになったのか?日刊スポーツによると デビュー前、名前に「ケン」がつく仲間がいて、周りが呼び分けるために体の大きい順に「ダイケン」「チュウケン」「ショウケン」と名付けられたのだそう。 波乱の人生…安らかにお休みください。